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海の向こうの立山を背景にして走る氷見線の列車
氷見線は高岡駅−氷見駅間16.5キロ。城端線と同じく、非電化の単線区間である。城端線の稿で書いたように氷見線も中越鉄道として建設され、明治33年(1900)12月に高岡−伏木間が開業、全線開通は12年後だった。
営業キロの短いJRの枝線だが、全国の鉄道写真マニアに知られている。というのも美しい海沿いを走ることで「絵」になるからだ。特に晴れた日に高岡市の雨晴海岸に行くと、富山湾越しにそびえる立山連峰が海の上に浮かび、手前の海岸線ぎりぎりを氷見線の列車が走っていく光景が見られる。カメラを構えれば、誰でも傑作写真をものに出来る。
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古い時代を呼び起こさせてくれる
松林のある海浜道路 |
マンガ家、藤子不二雄A氏の出身地が氷見市という縁で、忍者ハットリくんを描いた車両もあって楽しい。だが、よく走っているのは、あずき色の昔ながらの車両である。これでは、海や空の透き通るような青とか、山々の白さとかに、あまり合わない色遣いと思われる。列車を町に溶け込んだ風景の一つとして考えれば、そうしたことは重要なのである。
色遣いと言えば、町中でもけばけばしい色で雰囲気を台無しにしている例は全国各地で見られる。今後は町を構成する建築や橋、道路などにおいても、「文化」や「芸術」の観点を重視しないと、目の肥えた人たちに受け入れられないだろう。
北陸新幹線開業後、仮に氷見線がLRT化されたとすれば、地元民の足としてだけでなく、リゾートラインとして観光客を集める要素が高い。この路線は、高岡駅を出ると住宅街をすり抜けるようにして進む。最初は生活感が漂う沿線風景が見られ、次いで一変して工場地帯を駆け抜ける。さらに大きく左にカーブして、海沿いを走る「シーサイドライナー」となる。3部構成の景色が楽しめるわけだ。
たとえば、現在の城端線とともにLRT化されて、氷見線へも乗り入れるということならば、北陸新幹線新高岡駅で下りた乗客は、LRTでそのまま氷見まで乗車できることになる。運行頻度が高ければ、かなりの乗客が見込めると予想される。
氷見市は一郡一市である。つまりかつては氷見郡であったものがそのまま市になった。市街地を除けば谷筋ごとに集落があるため、行政効率という点からは厳しい要素を抱えている。さらに、かつては主要な産業がないことなどから、次第に人口が減るという現象にも見舞われた。
だが、この地域は富山県内では珍しいリゾート気分を味わえる貴重なエリアでもある。今後、団塊の世代の大量退職など新しい高齢化時代に向けて、交流人口拡大やUターン、Iターンなどで他の地域より有利な環境にあるとも言えるのだ。
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氷見漁港の隣にある海鮮館。
県外客からも好評だ。 |
それを見越してか、最近の氷見市の動きは目覚しいものがある。いまや全国ブランドとなった氷見ブリ。それの水揚げ港である氷見漁港に隣接して建設された海鮮館は、生きのいい魚を扱って好評だ。だが、石川県七尾市にある同種施設のフィッシャーマンズワーフに比べると、集客力は弱いのではないか。まだまだ魅力ある施設のあり方を研究する必要がありそうだ。
かつてサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを訪れた際、ウッドデッキを多用したレジャー施設のようになっており、遊園地もあるなど一日中遊べるような仕掛けに感動した。だが、日本では「道の駅」や高速道路の「サービスエリア」の域から脱しておらず、物販ばかりが先立って顧客の滞在時間はわずかなものである。海鮮館は海とか漁港など、ほかでは得がたい背景を持っており、それを生かした展開を今後期待したい。
その駐車場から見えるのが、ユニークな斜長橋(吊り橋)、比美乃江大橋である。地元では自慢の施設であるし、なかなか面白い格好をしていることにひかれる。しかし、市外から来て感心するのは、むしろ両側が松林になっている海岸道路だ。この道路は、幹線道路でもなく生活道路でもない。純粋に観光道路と言ってもいい。松林は古きよき時代を思い出させて人々を違う世界に連れて行ってくれる。
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| ユニークなコンセプトの海浜植物園 |
現在、最寄り駅は「島尾」しかないが、氷見駅との中間にもう一つ駅があれば、これら風景も堪能できる。第一、この松林の中にユニークな海浜植物園(アロマ・ガーデン)があるのだから、もっと売り込むことが必要だろう。この辺りはまさに富山の湘南ラインと言ってもいいほどなのだから。
せっかくの穏やかな美しい海と砂浜があるのだから、島尾、松田江浜、松田枝浜(高岡)などの海水浴場は、新たなマリンリゾートの基地として展開するのもいい。特に松田江浜など大伴家持が歌に詠んでいるのだから、それを大いに生かすべきだろう。素晴らしい環境にプラス物語性。それが人気を呼ぶ。
もう一つ、生かしきっていないのが柳田布尾山古墳ではないか。1998年に発見されたもので、日本海側最大の規模を持つ全長100メートルを超える前方後方墳である。調査の結果、3世紀末から4世紀初めに築造されており、日本海を牛耳っていた王の墓と考えられている。行政区域では氷見市に属するが、8世紀に越中国府が置かれた高岡市伏木とも程近い。この一帯が古代から続く中心地であったことが伺われ、興味深い。
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日本海に君臨した王の墓ではないかと言われる
柳田布尾山古墳 |
古墳は整備されて誰でも墳墓の上に上がれるが、訪れる人も少ない。まだまだ知られていないことの証だ。発掘ブーム、古代史ブームでもあり、人々に興味を持たせるような展示方法を考えるなど、ソフト面を重視するのがいい。
LRTが走れば、安芸の宮島を見ながらシーサイドを走る広島電鉄のような感じになるのかもしれない。そのためには、絶景と古代から続く物語を生かしたまちづくりが必要だ。どこにでもある施設に人は魅力を感じない。さらに立山黒部アルペンルートと連携を深め、「不思議の山と不思議の海」のリゾートを目指すのも方法であろう。
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