|
新港大橋
|
平成2年4月に完成。高岡市と射水市を結び、海王丸パークへの連絡道路に接する。「海と交易」をデザインテーマとして構成。 |
|
二の丸橋
|
大正9年完成、昭和35年架け替え。 東の商船高専、西の城跡、江柱とを結ぶ大切な橋であった。
橋名は放生津城のニの丸にちなむ。 |
|
放生津橋
|
昭和37年3月竣工。 |
|
東橋
|
平成4年4月完成。セザール・ボルテラ氏の設計による。切妻屋根で憩いの橋という独自の機能を持ちシティーリバー休憩所として存在感充分。 |
|
山王橋(古橋)
|
平成3年3月完成。 郷土出身・竹田光幸氏製作の4基の彫刻が設置され、ふれあいの通りである。
安土・桃山時代に架けられた内川で最も古い橋。 |
|
神楽橋
|
昭和60年12月完成。 郷土出身の大伴ニ三弥氏の製作による。
ステンドグラスがはめこまれている。 街路灯の光が映す水辺の色彩が幻想的。 |
|
中新橋
|
慶安3年(1650)竣工。 文化4年(1807)放生津絵図によると、内川に架けられていた古い3つの橋の一つで丁度真中に位置していた橋。
|
|
中の橋
|
慶安3年(1650)竣工。 文化4年(1807)放生津絵図によると、内川に架けられていた古い3つの橋の一つで丁度真中に位置していた橋。
|
|
新西橋
|
平成5年3月完成。 金属造形作家蓮田修吾郎氏がデザインしたモニュメントが斬新。材質は対候性鋼材使用、現代的で瀟洒な感じが特徴。 |
|
湊橋
|
文政4年(1821)3月に大火があり、橋が無かったため、多数の死傷者を出す。同年9月加賀藩によって橋が架けられ、「お助け橋」と呼ぶ。明治28年「湊橋」と改称する。 |
|
奈呉の浦大橋
|
平成5年4月完成。 東西漁港を結ぶ重要な連絡道路橋。 波・曳山のパネル、新湊ゆかりの万葉の歌などが装飾されている。 |
|
西橋
|
文化4年(1807)の放生津絵図によると、内川に架けられた3つの古い橋の一つで当時は一番西に位置していた。
架橋当初はもっと東に位置していた。 |
|
藤見橋
|
越中に下向した徳大寺実道が長徳寺神明社に藤の木を植えたという故事がある。
藤見橋は、同社の藤にちなんで名付けられる。 |
|
茂八橋
|
私的に仮設した人の名前が橋名となる。 |
|
桜橋
|
土手に植えた桜が橋名となる。 |
|
放生津八幡宮
|
祭神は応神天皇で、天平18年(746)大伴宿弥家持卿が豊前国宇佐八幡神を勧請し、奈呉八幡宮と称したのが起源である。
昭和2年若宮(仁徳天皇)を合祀する。 県指定文化財が多い。
(八幡町2丁目・東町) |
|
魚取社
|
祭神は「恵比寿」様で放生津八幡宮の境内社である。 漁業関係者特に釣方漁師の信仰が厚く、講中が結成されている。
(八幡町1丁目・東町) |
|
東町神明宮
|
旧記によれば、応和2年(1400年前)の創建。 天正9年神保長住が出した制札には、「放生津八幡領町同三宮下……」とある。後のニ宮は、山王社・気比社のことであり、放生津地域の発展が伺える制札である。
(八幡町1丁目・東町) |
|
日吉神社
<山王社>
|
祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ・山王権現)、元和5年(1619)坂本大社より勧請される。
猿官の左大臣・右大臣がめずらしい。高瀬竹次郎の製作である。
(立町) |
|
天満宮
|
加賀藩主前田利長公重病のおり、当寺の祈祷を受け平癒したという。その褒美として天満宮聖像を賜り領国護持を託される。
曼陀羅寺に祭られていた天満宮である。
(立町) |
|
気比・住吉神社
|
気比の祭神は仲哀天皇である。鎌倉初期頃敦賀の気比大社より勧請したと伝える。
拝殿の狛犬(松の木彫)は市指定文化財である。 湊口に鎮座していた住吉社は、古新町の大火で焼失し、昭和4年ここに合祀される。
(放生津町・奈呉町) |
|
西宮神社
|
漁業の神「えびすさん」を祭る。天平宝字元年(757)の創建と伝えられ、漁業関係者の崇敬が深い神社である。
漁業関係の神事が多く、ボンボコ祭りは市指定の文化財である。
(本町2丁目・長徳寺) |
|
神明宮
|
大納言徳大寺實通卿が奈呉の浦に下向の折当社に詣で藤の木を植えた事に因んだと伝えられる。
神領地の舟付は後醍醐天皇の皇子宗良親王が上陸した舟着(付)であると伝えられる。
(俗称・藤の宮神社・本町2丁目・長徳寺) |
|
白山社
|
祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)である。 船主が航海安全と商売繁盛を祈願して奉納した「船絵馬」が残されている。
和洋折衷型帆船絵馬は貴重な資料である。
(港町・三ヶ) |
|
日枝神社
|
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)である。 この合掌鳥居は、山王社系統の独特な形式で、伝授大師の創案といわれる。
御神体は仏像で神仏混淆の名残を留める。
(庄西町・六渡寺) |
|
吟松山・光山寺
|
真言宗で、俗称千体仏の寺という。 海難にあった21人墓がある。(石の地蔵尊)
宮大工とのかかわりが深く、新湊の宮大工の講がある。聖徳太子像は高瀬竹次郎の作である。
(八幡町2丁目・東町) |
|
密乗山・光明寺
|
真言宗・高野山金剛峯寺の末寺で、御本尊は金比羅大権現である。
市指定文化財の延命地蔵、薬師如来がある。 北陸白寿観世音第24番霊場である。
(八幡町1丁目・東町) |
|
密乗山・光明寺
|
真言宗・高野山金剛峯寺の末寺で、御本尊は金比羅大権現である。
市指定文化財の延命地蔵、薬師如来がある。 北陸白寿観世音第24番霊場である。
(八幡町1丁目・東町) |
|
天啓山・長朔寺
|
加賀藩家老奥村栄明の妻女、要泰院(亀子)の菩提寺である。
前庭に六地蔵、秋葉社の本尊がある。 数少ない禅宗の寺院である。
(中新湊・江柱) |
|
放生山・曼陀羅寺
|
則阿(そくあ)上人は、建治年中(1275〜77)に放生津に訪れ満海上人の弟子となり、嘉元3年(1305)この寺を起こしたと伝えられる。
浄土変相図・青不動など文化財が多い。
(立町) |
|
長恩山・大楽寺
|
全国的にも稀な土蔵造りの寺院である。 京都知恩院第71世大僧正万誉上人は、この寺の出身である。
八幡宮の再建と関わりが深く寺宝も多い。
(立町・紺屋町) |
|
専修寺・専念寺
|
守護代・神保氏の崇敬も厚く、格式を持った古刹である。 県指定文化財の銅鐘の在銘の和鐘として県最古。
県指定天然記念物の傘松は見事である。
(本町3丁目・西新町) |
|
浜街道の松並木
|
以前は砂丘の真中を通り、東西をつないでいた。明治41年、3百本の黒松を10m間隔で移植し、足洗まで整備された。
樹間に観音様33、地蔵様9体祀られている。
(万葉線・東新湊〜越の潟駅沿線) |
|
放生津城跡
|
中世の放生津は、軍事・政治・各物産の集積地として栄え、越中の守護所が置かれていた。(城跡は現在・放生津小学校)「太平記」に「越中守護自害の事」と落城哀史を伝えている。
(中新湊・二の丸) |
|
小川おさんの碑
|
おさんは他国の若い船乗りに恋をするが、相手に妻子のあることを知り、嘆いて仲秋の満月の夜小川の池に身を投げる。ここは「奈呉のふけ」と呼び、名月観賞ぼ景勝地である。
(放生津町・奈呉町) |
|
漁民義人塚
|
東西放生津は漁民総代であった佐賀野屋九右衛門と嵐屋四郎兵衛は、「バンドリ一揆」の首謀者として処刑された。その後、漁民の待遇が改善され、人々は義人として崇めている。
(港町・北長徳寺) |
|
三ヶ新の道標
|
高岡・氷見・出羽への三叉路に立つ道標である。 この三叉路を追分の辻ともいい、道標の南西に元禄袖が彫られ時代相がしのばれる。
(港町・三ヶ) |